仏教買取

古本屋浩仁堂が五百円、千円以上でも買取したい本 仏教第3回

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③浄土真宗関係書籍
 親鸞こそは、もっとも深く、人間の弱さの理解者であると思います。人間がトコトン駄目なものである事をよく知っていながら、それでも人間が救われる事に希望を持ち続ける。そんな哲学者であり、倫理学者であるとおもいます。歎異抄で私の好きなエピソードに次のようなものがあります。
 
「念仏申し候えども、踊躍歓喜の心おろそかに候こと、また急ぎ浄土へ参りたき心の候わぬは、いかにと候べきことにて候やらん」 と申しいれて候いしかば、
「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房、同じ心にてありけり。 」
 
現代語訳
「念仏称えても、喜ぶ心がおきません。 また、はやく極楽へいきたいという心もありません。 どうしてでしょうか」と親鸞聖人にお尋ねしましたところ、「親鸞もこの心、疑問に思っていたのだが、唯円房おまえもか。」
 
 唯円もお師匠の前でよくもこれだけ馬鹿正直に告白して質問したものだと思いますが、親鸞はそれを超えて正直なのです。人間の心の弱さに対する深い理解と共感がなければとてもこんな言葉は出てきません。また、こんなエピソードも出てきます。
 
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり、されば若干の業をもちける身にてありけるを、助けんと思し召したちける本願のかたじけなさよ」
(後序)
現代語訳
「大変長い間、阿弥陀仏が考えに考え抜かれ建てられた本願をよくよく考えてみると、全く親鸞一人を助けんがための本願であった。こんな数限りもない悪業をもった極悪の親鸞を助けて下された阿弥陀仏の本願の尊さよ、ありがたさよ。」
 
 これ、とんでもないですよね。弥陀の本願は親鸞一人のためのものであると宣言しているのですから。でも、だれでも考えます。親鸞がこんな事を言うはずがない。そんな事を言う人に大勢の人々が付き従ったはずがない。と。この文章、逆からたどっていくと意味が取れるのです。
「阿弥陀仏の本願は余りにも尊く、有難いので、これ程の悪業をもった極悪の親鸞をも助けてくださる程でる。この取るに足らないどころではなく、極悪非道の人間1人まで、助けてくださるほどの深い慈悲による願いを阿弥陀仏は立てられたのである。」多少意訳が過ぎますが、まずこう言った意味で間違いないでしょう。
 
 この辺の徹底した弥陀の本願への信仰が、絶対他力と呼ばれる親鸞の信仰姿勢の面目躍如たるところです。そんな、極悪人でも救われるとは、弥陀の本願への信仰であると同時に、人間への徹底した信頼があると思われます。親鸞の救いへの道は、自己認識です。自分が善を意志しながらも、悪をどうしても犯してしまう仕方のない人間である事を認識している事が、救いへの道なのです。
 
 空海も当然、人間の迷妄をよく知っていました。「生まれ生まれ生まれて、生の始めに暗く、死に死に死んで死の終わりに冥し」と「秘蔵空論」に書いています。しかし、本人は東アジアを代表するような天才であり、超人です。ですから、そこに密教修行による悟り、即身成仏といった志向が出てくるように思えます。本だけで密教を学ぼうとする最澄を遂には切ってしまうのにも、ちょっと傲慢さが見えるような気もします。
 
    阿弥陀三尊像 快慶作
 
 高額買取本リスト
小川一乗著作
親鸞の成仏道 法蔵館 2018
さとりとすくい 春秋社 2003
慈悲の仏道 法蔵館 1996
小川一乗仏教思想論集 法蔵館 2004
 
浄土真宗聖典全書 浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2017
浄土真宗辞典 浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013
浄土真宗聖典(注釈版)浄土真宗教学研究所 本願寺出版社 1996
真宗辞典 河野法雲 法蔵館 1994
 
笠原 一男
真宗における異端の系譜 (東大人文科学研究叢書)
東大出版会 1962
 

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