キリスト教買取

古本屋浩仁堂が五百円でも千円でも買取したい本 キリスト教 第3回

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 今回、宗教改革についていざ書こうとして何を書くか考えてなかった事にはじめて気が付きました。そこでネットで宗教改革をおさらいして、大変に驚きました。深掘りするまでもなく、ウィキペディアのレベルでも私が勉強したころの宗教改革像とは随分と違うものになっていました。歴史研究の進歩おそるべしです。

 私がもう35年も前に学んだ宗教改革に関する記述はおおよそ次の様なものでした。
「教皇レオ10世の免罪符の販売に憤ったルターは1517年10月31日にヴィテンベルク城教会の門に『95ヶ条の論題』をはりだした。これが、全ヨーロッパに大きな反響を呼び宗教改革へと繋がっていく。」

 さて今日までの研究成果でこの宗教改革像からどれ程違ってきているのでしょう。まず、比較的軽い問題からいきますと、「免罪符」と呼び方は実状を反映していないのです。「贖宥状(しょくゆうじょう)」という呼び方が正しいようです。何故、免罪符では正確ではないのでしょう。罪というのは悪事を為すこと言う訳です。そうすると免罪とは悪事を許すことなります。しかしこの証書の働きは罪を許すのではなく悪事にたいする罰を免除するものでした。つまり、例えば強制労働1年の罰が、半年になったり、全く無しにしたりする効果がこの贖宥状にはあり、それを金で買うことができたわけです。

 では、何故、罰を免除させてやる力が教皇にはあるかと言うと、こういう理屈です。過去の聖人たちの善行によって徳が積み上がっているのでその徳の力よって罰を軽くする事ができるできるというものです。つまり、聖人達の遺徳の積立を管理して、現在の罰を軽くしてあげる、まるで徳の銀行のような役割を教皇庁は果たしていたのです。この理屈を読んだ時には、私はあまりのご都合主義に感心するやら呆れるやらでした。

 「『そんなご都合主義を掲げて、私腹を肥やそうという教皇の破廉恥な振る舞い許すまじ!」』なるほど、ルターがその憤ったのも無理はない。」現代の我々はそういう風に解釈してしまいますが、実はルターは贖宥状そのものに怒っていた訳でも、教皇に対して怒っていたわけでもなかったのです。

 罪に対する罰は教皇が決めたものです。それを、教皇の権威によって一部をあるいは全面的に許すことは手続き(贖宥状の購入)によってありうることでしょう。しかし、贖宥状の販売にあたっていたドミニコ会の説教師は、煉獄(死後、天国に行く前に罪に対して罰の期間を過ごす場所)においても贖宥状が効力があると主張しているとルターは聞き及んだのでした。煉獄は教皇の力が及ぶ場所ではないのですから、その、ドミニコ会の説教師の主張は神学的に誤りであるとルターは考え、それを批判すべくその討論会の告知を教会の門に張り出したのでした。

 しかも、教会の門扉に神学論争の論点告知を行う事は何もセンセーショナルなことではなかったのです。門扉にテーマを張り出すことは神学論争の為の普通の手続きであり、教会の門扉は通常の掲示板の役割をしていたのでした。

 ルターは神学論争の告知を普通に掲示しただけだったのですが、その行為が何故世界史のなかでも有数の大事件の契機になったのでしょう。

 一つには前世紀後半から始まった活版印刷が挙げられます。ルターは掲示された時にはラテン語で書かれていた95カ条を、ドイツ語に訳して出版しました。一説によると2週間で西ヨーロッパ全てに広がったと言われます。とはいえ当時の識字率など10%程度なのですから、これ程のセンセーショナリズムを巻き起こすには、人々の中に教皇にたいする意識化できない反発がすでにあったのだろうと思います。実は、贖宥状も印刷技術の発展のおかげで大量生産、大量販売が可能になったのでした。それに対するカウンターの動き自体も印刷技術によって大きなうねりとなったのはとても面白いと思います。

 また、当時の神聖ローマ帝国は実際は群雄割拠する状態にありました。教皇と経済的な問題で反教皇派の諸侯にとっては、理論武装する為の格好の思想が登場したということでもあったのでしょう。

 既に述べました通り、ルター自身は95ヶ条を掲示した時、教皇すなわちカトリックの教え自体に異を唱えるつもりはありせんてした。しかし、この事件の前にルターは信仰義認説に到達していました。これは、人間は何によって神から正しいと認められるかといえば、「寄進や巡礼などの善行ではなく、ひとえに信仰のみによって神から正しいと認められる」という考え方です。ルターは修道士でありながら怒り裁く神への違和感(憎悪かも)を持っていて、その事で長く苦悩していました。人間へ恵みを垂れる神という神観の転換によってこの考えを見出したものでした。贖宥状などの善行では無く、ひとえに信仰によって義とされる。その信仰は教会ではなく聖書により神へと媒介されると観ていました。この考えは。神と人を繋ぐものは教会であるとするカトリックと相容れないことは明白なのですが、95ヶ条掲示時点ではそこまで明確な自己認識はなかったようです。しかし、数度に渡る公会議や審問をへて、その主張の対立点がルター自身にも再認識されたのだろうと思われます。自己の立場を明確に掴んで、それを確信したルターは、カトリックの権威を真っ向から否定するプロテスタントの宗教改革者の代表となったのでした。

 

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ルター著作集 日本ルーテル神学大学ルター研究所 1980年代

ルター著作選集 教文館 2000年代

宗教改革著作集 出村彰他 教文館 2000年代

カルヴァン新約聖書注解 新教出版社 

ミュンスター宗教改革―1525‐34年反教権主義的騒擾、宗教改革・再洗礼

永本哲也 東北大学出版会 2018年

旅する教会――再洗礼派と宗教改革 永本哲也他 新教出版社 2017

ルターの十字架の神学―マルティン・ルターの神学的突破 A.E. マクグラス他2名

教文館 2015

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